パレスチナ問題まとめ
お疲れ様です!インドネシア担当鈴木です。
※以下は筆者の主観が多く含まれており、正確性を保証するものでなく、かつ、PT DAISEI LOG INDONESIA及びダイセーロジスティクス株式会社の公的な見解を示すものではありません。
インドネシアの多くの人は同じイスラム教徒が多数を占める国家であるパレスチナを心情的に応援しています。TOP画像のように、ミラーステーや荷台の後方にパレスチナの国旗をたなびかせるトラックも時折見かけます。結果イスラエルを敵視し、イスラエルを支援する国家であるとして多くの米国企業を標的に不買運動が展開されています。スターバックス、マクドナルド、KFCなどなど。
さて、インドネシアで生活するワタクシ、宗教にも戦争にも疎い日本人としては両者にいい顔して戦争反対を訴えたいところですがそうもいかないですよね。日本は明確に米国サイドであり、パレスチナを国家として承認していないグループですから。
では現地で敵視されるようなことがあるかと言えば、内心はわかりませんが今の所全くありません。比較的「ユルい」ムスリムが多いこともあるでしょうし、諸先輩方が築いてきた信頼関係も当然あるでしょうし、長年に渡ってパレスチナ難民への支援活動を行われているファーストリテイリング柳井会長のご活動はこちらでもそれなりに有名だったりするのでそのおかげもあるかもしれません。
こちらで生活するうえで宗教関連の話には極力ノータッチが基本ですが、あんまり何もわからないのも良くないのでちょっと復習して以下にまとめてみました。では行ってみよう。
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旧約聖書は神がユダヤ人にパレスチナを与えたとして住んでたけどローマ帝国に征服されほとんどがこの地を追われた。紀元1世紀。
中世欧州で絶対の権威だったカトリックはユダヤ人を迫害。「ローマの役人にキリストを売った裏切り者の子孫」とのレッテルを貼る。ロシアや東欧でユダヤ人狩り「ポグロム」がしばしば発生。
ユダヤ人は共生を難しいと考えユダヤ国家建設を目指す。ユダヤ教の総本山ソロモン神殿があったエルサレムのシオンの丘を目指す→シオニズム。エルサレムはキリスト教、イスラム教にとっても聖地であることが問題をエスカレートさせる火種ともなる。
(イスラームの聖地と言えばサウジアラビアのメッカですが、メッカが預言者ムハンマド生誕の地で第1の聖地、エルサレムはムハンマド昇天の地で第3の聖地とされています。イスラームの初期はエルサレムが第1の聖地でした)
ユダヤ人の一部はパレスチナを目指し、当初は現地のアラブ人から土地を買って移住。豊かになったことでアラブ人と対立。アラブ人はオスマン帝国に支配されている。
1914年ー1918年「第一次世界大戦」
連合国(主に英国・フランス・ロシア・日本)と中央同盟国(ドイツ帝国・オーストリア=ハンガリー帝国・オスマン帝国・ブルガリア王国)との戦争。
英国の三枚舌外交①:1915年「フセイン・マクマホン協定」
英国はアラブ人に、連合国への戦争協力と引き換えにパレスチナを含む一帯にアラブ人国家建設を約束。ドイツに協力するオスマン帝国を背後から突き崩す目的。
フセインは預言者ムハンマドの血統を継ぐハーシム家の首長で、オスマン帝国から聖地メッカ及びメディナの管理権を持つシャリーフ(総督・太守)に任命されていた。
フセインは1916年「アラブの反乱」を起こす。余談;これを主導した英国人が「アラビアのロレンス」ことトーマス=エドワード=ロレンス。
英国の三枚舌外交②:1916年「サイクス・ピコ協定」
英国は大戦後にオスマン帝国の領土を分配することをフランスと約束。パレスチナは英国のものとされた。
英国の三枚舌外交③:1917年「バルフォア宣言」
英国はユダヤ財閥ロスチャイルド家に、パレスチナにユダヤ人の「民族的郷土」を建設すると約束。戦費獲得のため。
相次いで互いに矛盾する約束(密約)を結んだ英国は結果、②フランスとの約束を優先。アラブ人が反発。弾圧するも強い抵抗に屈しイラクとヨルダンに王国建設を認めた。パレスチナは交易の拠点であったため委任統治領として英国が直接支配。
同時期バルフォア宣言に基づいてユダヤ人が相次いでパレスチナに移住。
1939年ー1945年「第二次世界大戦」
ナチスの迫害を逃れたユダヤ人のパレスチナ流入が急増。当然ナチスが敵なので連合軍、米英仏に全面的協力。ユダヤ人と対立するアラブ人の多くはドイツに協力。
1947年「国連総会でのパレスチナ分割決議」
英国はパレスチナ問題を国際連合(大戦を教訓に発足したばかり)に付託。結果、アメリカ(トルーマン)主導でパレスチナの57%をユダヤ人に割り当てることとなる。ホロコーストへの同情機運、および連合軍に協力したから優利。またトルーマンの、翌年の大統領選挙を鑑み米国内のユダヤ人にアピールする必要から。→1948年「イスラエル建国」=国連決議に反対するアラブ諸国との衝突の始まり。
1948年「第一次中東戦争」
その後4度にわたる。イスラエルは民族の悲願である国家を防衛する強い意志と、アメリカなどからの支援によって軍事大国化。
1967年「第三次中東戦争」
イスラエルが国連決議でパレスチナ人に割り当てられたヨルダン川西岸とガザをも占領、ユダヤ人を移住させて実効支配。国際法で禁じられる植民地化に当たると指摘されている。
国際社会の反発、またパレスチナ人の抵抗・抗議が強まり占領のコスト増→若い世代を中心にイスラエル内でもパレスチナ独立を認める機運が高まる。
1993年「オスロ合意」
停戦、及び二国家建設に向けた協議を開始する、という内容。
PLOパレスチナ解放機構は当初パレスチナ全域での独立を目指していたが不可能と判断、国連決議に沿った独立に舵を切った。
交渉は難航。エルサレムの帰属や占領地に定住したユダヤ人入植者の扱いなど。並行し、イスラーム組織ハマスなどあくまでパレスチナ全域での独立を目指す勢力は軍事活動を止めなかった。
結局イスラエルはガザを返還したがヨルダン川西岸の支配を続けている。ヨルダン川西岸にはパレスチナ自治政府が拠点を置く東エルサレムもある。
オスロ合意は死文となる。
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うーん、異なる民族・宗教が激しく対立しているだけではなく、大国のエゴに翻弄された側面もあって複雑ですね。まずは上記を一般教養として記憶し、基本ノータッチの態度を貫きつつ、ワタクシは猫を愛でるとしましょう。
ではまた。
【蛇足】今日のにゃんこ
社員食堂(?)で揚げ物を狙う茶トラ君、名前はまだない。